――気づけば、もう四時だった。
ということは、私はもう三時間も読書をしていた計算になる。
「はぁ……」
人知れず、溜め息をついた。明日も仕事があるというのに、またやってしまった。学生の頃はよく四時まで起きて次の日の授業中はひたすら机に突っ伏して寝ていたものだが(今ではよくそれで卒業できたものだと思う)、まさか仕事中に眠るわけにもいくまい。明日は営業の仕事に行かなければいけない。眠気に襲われている場合ではないというのに。
……そういえば。
私が大学に合格した時だ。アパートに一人暮らしをする、と言ったとき、弟は酷く心配していた。弟は私を一時までに眠らせる役目をしていた。放って置くと四時までも起きているからだ。だから私が頼んだのだ。
「本当に大丈夫なのかよ? 大学に遅刻したら、単位とか落とすんだろ?」
今、私の枕もとにある目覚ましは弟が持たせたものだ。部屋にかかっている、真っ赤な時計も弟がくれたものだ。派手な方が時計に目が行く、とか言っていた。時計は、結局効果はなかったが。
「無駄遣いするなよ。兄さん、仕送り全部本にあてそう」
流石にそんなことはしないよ、と笑ったものだ。
私は本を閉じた。ふと、窓の外を見る。カーテンを閉め忘れていたことに気づき、カーテンを閉めようと立ち上がった。しかし、何となく夜の空気を吸いたくなって、窓を明けた。
「…………」
大きく、息を吸い込む。新鮮な空気を胃にいっぱい入れる。ゆっくりと吐き出す。
――夜は、とても幻想的だった。
たくさんの星たちが瞬き、夜はどんな言葉で表しても私のボキャブラリーでは陳腐な表現になってしまう気がした。夜の色は、深い藍にも見えて、青を重ね塗りしたようにも見えて、群青色にも見えた。それは綺麗、とか美しい、とかいうよりは壮大、の方が正しいような気がした。
あの空はどこまで続いているのだろう。私が見上げている空を、今、どれほどの人が同じように見上げているのだろう。ずっとずっと高く、あの空を求めてのぼっていけば、本当に宇宙に辿り着くのだろうか。
私は、窓を閉める。カーテンを引き、ベッドにもぐりこんだ。
この世界は、美しすぎる。――唐突にそう思う。
誰がこの世界を作ったのだろうか。誰でもいいが、とにかくその人は今、嘆き悲しんでいるに違いない。
――世界の造物主よ。世界は、こんなにも腐敗してしまった。
朝、目が覚めたのは六時だった。二度寝すると遅刻する可能性大なので、起きることにした。
十分ほどで朝食を食べ、着替えと歯磨きを済ませるとやることがなくなった。
何となくパソコンを開いた。ネットに繋ぎ、メールチェックをする。たくさん届いていた広告メール、迷惑メールなどをどんどん削除していく。その中で、一件だけ。
弟から、メールが来ていた。
「ッ―――!!」
途端に、心臓が跳ねた。
確かに、件名は「ジョウです」となっている。ジョウは弟の名前だ。しかし、すぐに私は我に返る。これは誰かのタチの悪いいたずらだ。迷惑メールかもしれない。
しかし、何となく気になった。ジョウのことを知っているとなれば、私のことを知っている人物である可能性が高い。
――いや。深読みしすぎかもしれない。ジョウ、なんてありふれた名前だ。
なんにせよ、開いてみればわかる。このパソコンにはウィルスセキュリティもインストールしている。大丈夫だ。
私は、震える指で件名を一回、クリックした。
Date: Fry, 5 Oct 2007 04:30:15
From:
Subject: ジョウです
To: 兄さん
おかしい。相手のメールアドレスが表示されるところには何も書かれていなくて、自分のアドレスが表示させれるはずのところには「兄さん」とだけ。
しかし、兄さん、とあるということは、やはり知り合いなのか。
少しスクロールして、本文を読む。
ジョウです。いきなりメールしちゃって悪い。
今、俺はどこからメールを送っていると思う?
実は、俺にもわかんないんだ。
俺が今いる場所にはパソコンもケータイもなくて、でも手紙だけはある。
なんか、手紙に書いた文字がそのまま、兄さんのパソコンに送られてるみたい。
この前の、件名のない、本文も「あああああ」だけのメール、俺のなんだ。
すごく、すごくふしぎな感じ。
俺。
死んだんだよね?
私は、パソコンを音がするくらい乱暴な手つきで閉じた。
誰だ。誰だ、こんないたずらをするやつは。私を錯乱させるつもりなのか。もしこれを送った人物が私の知り合いにいるとしたら、私は今からそいつを殺しに行く。
試しに、返信してみようか。
私は恐る恐るパソコンを開いて、そのメールに返信。「あ」だけの、簡潔な……というか、言葉にすらなっていないメールを、送ってみる。
しかし、案の定アドレスがわからないために送信できなかった。
私は、本気で吐き気がした。件名のないメールは全て削除しているので「あああああ」とい本文のメールが本当に送られてきているのか、知りようがない。しかし、口調も、パソコンに表示された文字でさえもジョウのであるような気がしてきた。
パソコンを手でぐい、と押す。コードが届かなくてパソコンから勢いよく外れたが、構うものか。私はそれから目を背けた。
それは、私にとって恐怖だった。弟が死んだ、その事実、そしてその事実を証明するものたちがフラッシュバックする。私にとってそれは恐怖でしかなかった。

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