「あっ……つぅぅぅーい!!」
只今かなり憤慨している俺、緒方晋太郎。
その理由はと言うと。
「しょうがないでしょ、夏なんだから。それも真夏」
「何でっ! この俺様がっ! こんな真夏のあっつぅーい日に、しかも休日にっ、出るわけでもないテニスの大会を見に行かなくちゃならねーんだよっ!!」
「だってぇ〜しんたろーが引きこもりになるといけないと思ってぇ〜」
「なるかっ!」
俺は今、とあるテニスコートに、試合観戦に来ている。
…………強制的に。
遡れば、三十分前。
「あぁぁー……もう九時かぁー……」
テレビの前でアニメを見ていた俺は、時計を見ながら大きく伸びをした。
「休日はやっぱ、サイコーだよなーっ」
今日は日曜日。中学一年生の俺は、高校生の兄のように模試もなく、起きてからパジャマのままずっとテレビの前に居座っている。休日にはいるテレビ番組を七時から見続けて、丁度二時間が経ったところだった。
「さぁーて、メシにすっかな……」
そう言って俺が、立ち上がった瞬間。
「しんたろー!!」
ボフ、という鈍い効果音とともに、勢いよく居間に入ってきた母親の投げたものが俺の顔面にクリティカルヒット。痛恨の一撃。
「いっ…………てぇな、何すんだよ!」
会心の一撃を繰り出した母は、腰に手を当てて言った。
「あのねぇ、しんたろー? 服を渡されてそれを食べる人がどこに居るって言うの?」
「…………あれは渡したんじゃなくて、投げた、もしくは攻撃した、って言うの」
俺の呟きが聞こえたのか聞こえていないのか聞こえないフリをしているのか、母は悲しい顔を作って嘆いた。
「ああ、しんたろ。母さん悲しいわ。休日だからってだらだら子供向けのアニメを、着替えもせずに二時間も見ているあなたが私の、この美しく麗しい美女の息子だなんてー!!」
「……言ってろ」
母親がこうなのはいつものことだ。慣れるのもどうかと思うが、そうでないとやってられない。
両手で顔を覆って泣き真似をしている母を無視して、俺は着替えを済ませた。そして朝食をとろうと、台所に向かおうとしたとき。
「そこでよっ!!」
いきなり母が顔をあげ、ビシィ、と人差し指で俺を指差すと、にっこりと笑った。
「な、何デスカ」
ひ、人を指で指しちゃいけないんだぞ!
母はかなり引いている俺を無視して、楽しそうに言った。
「テニスの試合見に行きましょ?」
「………………は?」
「だからぁ、テニスの試合観戦にい・き・ま・しょ?」
「………………は?」
「もう、物分りの悪い息子ね。へっぽこ君ね。へっぽこすっぽこぽこぽこぴーね」
言っていることは意味不明だが、馬鹿にされてる、馬鹿にされてることだけはわかるぞ!
「テニスの試合見に行くのか? ……今から?」
「当たり前じゃない」
「嫌だ」
俺は即答した。休日に、この火傷するかと思うくらい暑い日に、知ってる人が出るわけでもない大会に、何故行かなければならんのだ!
「あのねー、あなた、テニス部でしょ? 見るのも勉強! ……らしいわよ」
「何その自信なさげな……。で、でもさ、先輩の試合毎日嫌というほど見てるって! しかも俺、やめるかもしんないし……」
「この試合はね、全日本実業団ソフトテニス選手権大会、つまり社会人のテニスよ? 中学生と社会人のテニスがどれほど違うか、しっかりそのへっぽこぴーな頭に刻みつけときなさいっ。それからっ、テニス部やめることは許しまへんでー!」
そして今に至ったりする。
俺は、三年生のときからテニスを習っている。小学校にテニス部はないから、俺のほうが一歩リードしているというわけだ。
しかし。上手いからって、そう簡単にコートで打たせてもらえるわけが無い。一年生は球拾い。どこの学校でもそうだが、俺は球拾いばかり、時々素振り、というような日々に退屈している。
だから、俺はテニス部をやめようとしているのだ。
「…………どうせなら、テニスしたいっての」
「ぶつくさ言わないの。私はここに居るから、暇なら可愛い女の子でも捜してきなさいよ。気に入った子が居たら写真とってきなさい。あ、声かけてもいいけど。ついでにサインもらったりなんかしたりしてもいいわねー」
何ということだ! この母親は、息子にナンパさせようとしている!
デジカメを俺に渡しながら、母の目は試合に釘付けだ。いや、試合、というより、選手に釘付けなのだろう。
列記とした夫が居るくせに、母はいい男には目が無い。
「はぁ〜、やっぱりスポーツをしてる男はカッコイイわぁー」
語尾にハートマークでも付けそうなくらい甘ったるい声で言う母を見ていると、こんな人が俺の親なのかと、少し悲しいやら虚しいやらで複雑な気分になる。
「……結局、俺のためとか言って、自分が見たかっただけだろうが」
それも、試合ではなく選手を。
「何で俺まで……」
「だってぇ、一人じゃ嫌なんですものー。私は小さい頃から寂しがり屋なのっ」
ああ、はい、そうですか……。
でも、ウィンクして言うセリフじゃないでしょう。
「父さんはどうしたよ」
「もっちろん! 一番愛してるのはパパよー? 心配しなくても浮気とか不倫は致しません。ただの目の保養です、保養」
そう言い切られてしまうと……。
少し父親に同情しながら、俺は渋々デジカメを受け取ると、ちらりと女子のコートに目を向けた。
応援する甲高い声。ちょっと露出度高めのユニフォーム。体と比例しない、力強い打球。
「………………何かなぁ」
どうせなら、事業団ではなく、普通の中学生の試合に連れて行ってくれればよかったのに。
女の子ったって、プレーしているのは勿論社会人。俺より十は年上。こんな女の子、というより女性を、どうやってナンパすんだよ。
やっぱり俺は年頃の男の子なんだから、露出度高めとかじゃなく、むしろそれを恥らって嫌がるような、そして繊細で力とは縁が無いような、そして応援の声は、小さい声を振り絞って、頑張って大きな声を出そうとしている、そんな女の子がいいな。
いいな、って、俺……。
「あれ、晋太?」
「あ、緒方君だー」
俺を晋太と呼ぶ奴は一人だけ。そしてもう一人は、そいつの彼女だと思われる。
「智!」
俺が智と呼んだ奴は、俺のクラスメイト。富樫智樹という。そして智樹の彼女は、滝本美夏。たしか一年生で、隣のクラスだ。
「晋太は何で来てんの?」
「母さんの男あさ……いや、テニスのベンキョーのために」
無論、大嘘である。さすがに母親の男漁りの為に、一人じゃ嫌と言う理由だけでこんな所まで、無理やり引きずられてきたとは言いにくい。だいたい反応は目に見えてるし。
こう見えても俺は、損得考えて行動するほうだ。いや、こっちの方が大嘘なのだが。
「へぇー、熱心なんだね、緒方君て!」
美夏が無邪気に笑う。ちょっと罪悪感を感じる俺。
「智と……美夏サンはどうしてここに?」
「あははっ、サン付けで呼ばれるの久しぶりだなー! いいよ、呼び捨てで。慣れなかったらそのままでいいけど」
美夏はお喋り好きらしい。智樹も割とお喋り好きな方なので、気が合うのもわかる。
「俺たちはさ、親の知り合いが試合に出てるってんで、どうせなら二人で来ようかと。全然分からないテニスを一人で観戦するより、彼女と居た方が数倍楽しいだろ?」
俺は頷いた。テニスをよく知っていても、一人で居るよりは、こうして立ちながらでも会話していたほうが楽しい。
「しっかし晋太、近いうちにレギュラーなれんじゃねぇ? 聞けば三年生の時からテニスやってるって話しだし」
「うっそぉー、すっごーい!」
「いや、それがさ……」
智樹は、何? というように少し首をかしげた。美夏も同じような仕草をした。
そんな二人を見ていると、何となく「やめようと思っている」とは言いにくい。
「…………ありがと、智。俺、頑張るよ」
ついつい心にも無いことを言ってしまった。
「おうっ! 頑張れよ! 俺も陸上、頑張るからさ」
「私も、私も応援してるー!」
俺は何だか先程とはまた違う罪悪感に駆られる。
二人は、本当に俺を応援してくれている。だけど俺はそれに答えられないかもしれない。
智樹は本当に頑張る、と言っている。智樹は陸上部が本当に楽しいみたいだから、その言葉に嘘は無いだろう。きっと次の大会にでも賞状を貰って帰ってくるだろう。
俺は違う。やめるかもしれない。頑張らずに終えてしまうかもしれないのに、頑張る、などと言ってしまった。
本当にやめた時、俺は二人に何と言えばいいのだろう。
何と言い訳すれば、納得してくれるだろうか。

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